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【小川佳純連載】小川佳純ラストインタビュー①「サッカーは、判断とミスのスポーツだから」


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今回はインタビュー形式で【小川佳純連載】「Keep on Keeping on」の最終回を3回に渡ってお届けします。
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■10年間やった、その期間が自分にとっては財産です。

Q:まずはこの10年を振り返っていただけますか。
まず10年やったこと自体が、という感じですね。だから例えば優勝した年とか、あとは新人王を獲った年とか。それも印象に残ったシーズンではあったわけですけど、それだけではなくて。10年間やった、その期間が自分にとっては財産というか。どの年とかいうのは決められないですね。その年、その年でメンバーも違って、成績も違いますから」

Q:ルーキーイヤーを振り返ると、若かったなとか、プロをわかってなかったなと思うこともあるわけですか。
「今は1年目よりもずっとうまくなっているよな、とは思いますね。1年目は環境の違いとかに何とか入っていってという状態で、スピードの違いとか、ギャップを感じていたし。1年目、最初はナビスコカップで、今でも覚えていますけど初めて公式戦にスタメンで出たのがアウェイの新潟戦なんですよ。開始5分くらいで中盤で変な取られ方して、後ろから取り返そうとして削ってイエローカードもらったのを覚えています(実際には8分)。ヨネさん(米山篤志)からパスをもらってのプレーだったこともよく覚えています。「うわっ!」ってすごく焦りました。でも、自分の中ではパフォーマンスは全然良くなかったんですけど、監督に90分間使ってもらえて。オランダ人のフェルフォーセン監督だったんですけど、「戦術的にやることはしっかりやっていたし、別に悪くはなかったぞ」みたいに言われたんですよ。その一言で「良かったのか」ってすごく安心したのもよく覚えています。初スタメンがそれで、途中出場はその前にもあったのかな?(同じくナビスコカップのホーム新潟戦)。

あとは、Jリーグデビューが誕生日だったのも忘れませんね。8月25日の瑞穂での大宮戦で、途中出場。春先にナビスコで少し試合に出て、自分はあんまり良くなくて、チームもシーズン序盤は勝っていたから自分にリーグ戦でのチャンスがなかった。それで夏まではメンバーにも入れなくて、試合にも出られないことが続いていた。でも夏を過ぎるとトップチームに入れるようになって、誕生日の日にリーグ戦に出場できたんです。当時は3-5-2でやっていて、その右サイドが(中村)直志さんがやってたり、津田(知宏)がやったり、固定されていなかった。山口慶くんもやってたのかな。要するにそこでポジションをつかんでいる選手がいなかったんです。そのポジションが本職の人がいなくて。そういう中で、京都でのサテライトリーグで「ちょっとそのポジションをやってくれ」と言われて、任されて。3-5-2の右で試合に出ることになったんです。

その後のリーグ戦ではオレが右サイドをやることになって、何試合か出て、迎えたのが瑞穂ラグビー場での柏戦。あの時は4-1-4-1みたいなのをやって、オレは2列目の右サイドで、後半にプロ初ゴール。これはすごく印象的でしたね」

Q:その試合は印象深いですね。
「そうですね。古賀さんが退場したり(笑)、(金)正友がいたりね」

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